shonblog’s diary

日々感じたこと。日記。思想。精神。宗教。自然と人。人間の構造をわかりにくい文章で探求していきます。

意識は常にどこかしらに光を照らし続ける。

 一度すべてを破壊してみる。物理的な破壊ではく、精神的な破壊だ。我々人間というのは、常に何かに囚われている。過去のしがらみだったり、周りの人間環境だったり、メディアだったり、はたまた未来に対しての希望だったりと。そして我々は、これらの土台の上で日々思考を繰り返している。もちろん考えるためには知識が必要でその知識があるから色んな可能性を引き出すことはできる。しかし、それを繰り返してくうちにどんどん狭い穴蔵の中を掘り進んでいき、本来は地上の光を求めて出発したはずなのに、気づけば方向感を失い、暗い地下深くへと潜ってしまっている。しかもタチが悪いのは潜っている最中は、地下へと進んでいることに気付けないことだ。一旦引き返してスタート地点から始めてみるという発想はまるでない。しかし、人間とはこういう生き物なのだ。どうしても自分の視野や見える世界が”すべて”だと思ってしまう。”意識”というのはこういう性質なのだ。ある全体像を見る時、意識は部分にしか光を当てることができない。自動車のヘッドライトのようなもので360度周りを照らすことはできない。人間はそれによって見えたものでしか判断することはできない。見えないということは存在しないということだ。しかし、人によってある事象を観察した時に異なる答えがでるということをみんなは承知している。そのことから一人の人間の視点なんてごくごく限られたものであることがわかる。これによって世界というのは無限に味方があるといえる。

 だからこそ、今見えているものを一度破壊してしまってもいいんじゃないかと思う。それが今まで積み上げてきたものや信じてきたものであっても。それによって失う恐怖が芽生えるのは当然だが、人間の意識というのは終わらない。つまり意識は常にどこかしらに光を照らし続ける。まるで太陽の光のように。だから破壊してもまたすぐさま建設が始まる。この破壊と建設という仕組みはこの自然界が生んだ最大の発明だ。だからこそ今我々はここにいる。マクロな生物界的な破壊と建設にしても、ミクロの人間の思考にしても同じルールが適用される。つまり生きるというのは、常に破壊と建設を繰り返すことにほかならない。