shonblog’s diary

日々感じたこと。日記。思想。精神。宗教。自然と人。人間の構造をわかりにくい文章で探求していきます。

生きるためのレシピなんてない

「生きるためのレシピなんてない」

ミスチルの名曲"終わりなき旅"のワンフレーズ。

この意味を深く考えると面白い。人間というものは見えたものだけを材料に物事を考える癖がある。そして、その見えたものがこの世の基礎をなして現実的だと捉える。

例えば、「色」。我々の目には、様々な色が見える。赤、緑、青、黄、白、、、

しかし、色を感知するセンサーは、赤、青、緑の3色しかない。つまりこの3色以外の色を感知できるはずがないのだ。それでも、我々にはどう見ても黄色は黄色に見える。それはなぜか、それらの3色センサーを用いて脳が黄色を作り出しているからだ。

何が言いたいかと言うと、果たして今我々に見えているものは現実で本当にそこに存在しているのかということ。それがなかなか怪しいと思うのである。

仮に自分が黄色に見えているものを他人が見て、同じ黄色という答えが返ってこなくてもなんら不思議なことではないのだ。

だから自分と他人が違う意見や価値観であることはごくごく当たり前なことである。

そうすると、自ずと生き方も変わってくるはずだ。

それなのに、変に周りを見渡して他人と比較して、歩調を合わせようとしたり、劣っているように感じたりすることは、そもそもナンセンスなのだ。違っていて当たり前で比較に意味はないのだ。

冒頭の「生きるためのレシピなんてない」が真理なのである。

そのことを踏まえて、改めて生きると、生きることの本質が見えてくるはずだ。

人それぞれ生き方は違い、その表現方法も違う。人と違うことを気にする必要はない。

しかし、一つだけ共通する部分がある。

それが「生きる」こと。それは目には見えない部分で人間であれば誰しも持っている。

目に見えるものというのはすべて「生きることの副産物」。それは人によって変わってくる。

ある人は絵を書いたり、ある人は仕事に打ち込んだりと。僕の場合、それが今こうして書いていること。いわゆるそこに個性が表れる。

突き詰めると、みんな違うようなことをしているが、実はみんな同じことをしていて、それはみんな「生きる」ことをしているということ。

言葉遊びに聞こえるかもしれないが、この情報が錯綜して、一人ひとりの生き方や表現、あらゆるものが可視化されつつある時代で、生きることよりもレシピの話ばかりが可視化され自分自身を見失っている人が多いのが事実である。

そのような中で、人間構造の根本は変わっていないということを伝えたい。

だからシンプルに「生きる」ことにフォーカスすることをおすすめしたい。