shonblog’s diary

日々感じたこと。日記。思想。精神。宗教。自然と人。人間の構造をわかりにくい文章で探求していきます。

本を読む行為は、自分自身の中に埋もれている感情を言葉というツールによって引き出すことができる

 最近、本を読むのは非効率だ、という言葉を耳にした。たしかに情報や知識を吸収するといった意味では一理あるのかもしれない。インターネットで自分の知りたいものだけクリティカルに情報を取り入れたほうが効率的なのかもしれない。しかし、ここにはある程度落とし穴があると思っている。自分の知りたいもの、というのは、現在の自分自身の知識量に依存する。要は自分で想像できないことは考えることができないということだ。当たり前のことだ。このとを僕はよく人間の視野で例える。人間の視野がおおよそ180度であるとしよう。ここで見えるものが自分の知識量である。しかし実際には、自分の視野を超えたところにも無限に景色は広がっている。新たな知識を取り入れるにはここに手を出さなければ意味はない。ただ、人間の視野には限界があるためその場で立ち止まっていては見える景色は同じだから、首を振らなければならないのだ。

 本を読むことは、この首を振る作業なのだ。本というのは自分が書いてもいない言葉ばかりが並んでいる。そもそも言葉というのは、人間の感情や知識といったものを表現する一つのツールである。少し難しい話になるが、感情というもはそれ自体形にできない、形にできないからこそ感情と呼べる。それに対し、言葉は形である。形にした瞬間に言葉となる。よく「言葉では言い尽くせない!」とか聞くが、あれはまさに言葉と感情の違いを表現している。要は言葉というのは本質は表してはいない感情の代用品のようなものなのだ。しかし、誰かに伝える手段としては言葉というツールは汎用性が高いのだ。とても便利な道具なのだ。このことをまずは理解していなくてはならない。

 さて、本にはその作者の感情や思想が言葉というツールで表されてる。僕らはこれらを読むことで、その作者と繋がることができる。そして、ここが本質なのだが、

”まだ自分自身の中に埋もれている感情を言葉というツールによって引き出すことができる” 

だから本を読まなくてはならない。それは知識を吸収するだけが目的ではなく、まだ自分自身の意識上に昇ってきていない能力的なものを引き出すために。知識というのは外部から取り入れる行為だが、これは内部に隠れている能力を見出す行為だ。外部から取り入れることもたしかに重要であるが、まずは内部にある資源を有効活用することのほうがより効率的だと思う。

話がややこしくなったが、よく本を読みながら、「あ!これ自分も思ってた!」「あ!これ自分が言いたかったことだ!」と感じることが多々あったため、まだまだ自分の中で眠っている生きた種を発芽させることも重要であると感じるとともに、本を読むのが非効率だという見解に違和感を感じたためこのことを書こうと思った。