shonblog’s diary

日々感じたこと。日記。思想。精神。宗教。自然と人。人間の構造をわかりにくい文章で探求していきます。

明日の感情は誰にも約束することはできない。

 何か自分で事業を立ち上げたり、商品やサービスを作ったりする際に重要なことは、当たり前だが人を意識することだ。なぜなら、これらは人による人のめの行為であるからだ。そして我々は資本主義社会に生きているからある程度、これらを実行していかなければいかない。

 ということを大学生の僕はおぼろげに考えていた。そして僕はそう思ったときに最初に何をやるべきか考えた結果、”人間とはなにか”まずはこれを徹底的に理解しなければいけないと思った。幸いその研究はすぐに着手することができた。なぜならすでに自分自身という実験道具が備わっていたからだ。すなわちまずは自分自身をよく観察し知ることによって、人間というものを分析しようと思った。とことん自分自身を観察した。わかったことしてては、すべての人間にとって一番身近なものはなにか、それはお金でも家族でも友達でもスマホでも仕事でもない。”感情”である。どんな瞬間でも感情というものはすべての人間に一生をかけてつきまとう。まずはこの感情を分析研究し理解しようとした。とてもハードな旅となった。大学から今までの約8年間ずっとそのことを忘れたことはなかった。未だにその研究は続いている。というか一生続いていくと思う。

 この状況になれば僕の感情はこう反応するということをひたすら客観的に分析していく。そして、それらをできるだけ言語化したり図式化したりしていく。そして仮説検証し、過去の様々な哲学本や思想、心理学、自然科学などの文献と照らし合わせて検証を行う。そして自分自身の研究の今のところの結論に近い一つの定義として、最近読んでいるスピノザの「エチカ」という本の中から見つけた。”感情というものは、精神の受動状態であり、ある混乱した観念である”と。要は、感情というものは人間にとってもっとも身近なものでありながら、もっともコントロールできないものであるのだ。よく「感情をコントロールすることが重要」みたいなことを聞くがそれは本質を理解できていない。我々は感情に対して傍観者である。常にまわりの環境に依存する。明日の感情は誰にも約束することはできない。それができたらその人は自分自身に嘘をつくことになる。それだけ感情というものは未知の存在なのである。その未知をすべての人間が有しているのだ。しかし、そのことを知っているが否かで大きく変わる。知らないと、ただひたすらわけのわからぬまま濁流にのまれ、わけのわからぬまに穏やかな岸辺にたどり着く。

 さて、これらの感情の定義や精神の構造などに関しての見解を書けば、永遠と書き続けてしまうので、今日はここまで。