shonblog’s diary

日々感じたこと。日記。思想。精神。宗教。自然と人。人間の構造をわかりにくい文章で探求していきます。

人は違う生き物だから理解し合えないという言い分は、矛盾に満ちている。

 人間というのは、一人一人違う生き物だから理解し合えない、と聞くことがよくある。

そう言った人に例えば、突然殴りかかってみよう。そうするとどうだろう、おそらく不快感を感じそれがしだいに怒りになり殴り返してくるだろう。みず知らずのやつにそんなことをされたら誰でもこうなるであろう。もしこの人が、人間同士は理解し合えないと言うのなら矛盾している。この怒りというのは、突然殴られなかったら生じ得なかったものであり、したがってこの怒りというのは自分が起こしたものではない。何が言いたいかというと、独立した個人ということはこの自然界においてはありえないのである。個人一人では何物も生じ得ない。複数人いて初めて人間というのは完成するのでる。

 さて、先程の怒りという話に戻ると、怒りというのは感情の属性にすぎない。したがって喜びや幸せといったものと同類なのである。表面的には違う顔をしているがその生みの親は同じなのである。このとこを踏まえると、殴られたら怒りを伴って殴り返すという行為と、例えば、相手に親切なことをすれば幸福感が芽生え、親切をなことをお返しすることと同じである。前者が復習ならば後者は感謝である。だから僕は、冒頭の一人一人違う生き物だから理解し合えないという言い分には納得できないし、矛盾に満ちていると感じる。彼らは人を憎むことは平気で容認するのに、お互いに喜びや愛を感じることは否認する。というかあえて避けているようにも見える。僕自身どうせなら相手を憎むという形で人と繋がるよりも、喜びや愛を持って相手と繋がっていたい。