shonblog’s diary

日々感じたこと。日記。思想。精神。宗教。自然と人。人間の構造をわかりにくい文章で探求していきます。

偶然ということはありえない

 最近は梅雨時ということもあり一日中部屋に閉じこもりことが多くなっている。必然的に触れるものといえばパソコンやスマホ、テレビなどの電子データになる。今は情報化社会で情報をいかに集め、知識として蓄え、さらにそのスピードも求められ、これを疎かにしていると置き去りにされるかのような風潮だ。それに対し、この窓の外に見える、空、太陽、雲などの自然はそんなこと見向きもしない。ふと、そんなことを考えていると、やはり自然というものを忘れるべきではないと改めて思った。なぜなら、いついかなる状況においても人間というものは自然の一部に過ぎないからだ。このことを我々の意識や思考は忘れさせるが。情報データばかり見てるとなおさらそうなる。なぜならそれらはとことん人間の意識や思考の塊だからだ。視野が狭くなるのも無理はない。

 ここからは、宗教っぽく聞こえるこもしれないが、僕はスピノザの「神即自然」を信じている。「エチカ」という書物の中には、こう書かれている。

”すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物も在りえずまた考えられない”

在るというのは神のことである。神というと宗教っぽく聞こえるが、決してイエス・キリストのような人間的な神のことを言っているのではない。神というのはスピノザの言う”存在”のことである。”在る”ということである。普段僕らが生活していることすべては神の調和が行き届いている。逆に言うとそれがないとそもそも存在することができないのだ。あらゆる存在は必然性のうちにある。よって偶然とうことはありえない。ある瞬間、交通事故が起こったり、今の仕事に就いたり、また誰かと出会ったり、あらゆることは必然的に起こっている。しかし、人間の意識や思考というものは非常に視野が狭いものだからこのことが信じられない。人間の意識や思考をものを分けて考えるから全体の調和のことに関しては未知なのである。その一つの思考とってみても神の後ろ盾があることを理解できない。何回も言うように神とうのは自然のことである。そして自然というのは木々や空みたいな物理的な事象の意味ではない。もっと内面的でより身近なもののことである。

 ことことが一度理解できれば、より自信を持てるし、今の苦しい状況も受け入れることができるだろう。